“熱狂”そのものの価値

「そんなことして意味があるのか?」

と、そんな言葉がある。

「こんなこと覚えてなんの意味があるのか」

と思ったこともあるだろう。

もちろん、できるだけ意味があること、価値がある事を探し、無意味な時間を減らしたいと思うのは悪いことではない。

でも、対象はなんであれ「熱狂すること」そのものに意味があるとしたら?

実際に、何かに打ち込むことそのものに価値はある。

例えばスポーツはなんかはまさにそのいい例だ。

スポーツで勝ったからと言ってなんになるか?と言われたら、大半の人は何にもならない。

プロのスポーツ選手になれる人なんてごく一握りだからだ。

でも、プロになれないなら、スポーツをやる意味がないのか?というと、そんなことはないはずだ。い

部活や習い事でスポーツに打ち込んだ人は、きっとその過程でたくさんの成長やたくさんの学び、たくさんの喜びや、たくさんの悔しさがあったはず。

それに意味がないと?

そんなわけない、むしろそこで感じた様々こそ人生そのものだ。

勉強も同じ。

こんなこと覚えてどうするの?

こんなことやって社会に出て使うの?

そんなこと考える前に、思いっきりやってみたらいい。

きっとそうするとたくさんのものが返ってくる。

時に後悔したっていい、何もやらない後悔よりやって後悔する方がよっぽど前向きに生きられる。

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