【ソヨカふじみ野】富士見シニアの思い出

あとワンアウト取れば試合終了

最後の打者はショートライナー

ゲームセット!!

優勝した瞬間、フワッと宙に浮いたような感じだった。

鳥肌が立って三塁ベースからホームへ整列するために全力で走った。

最高の気分だった。

中学生の頃の出来事だけど今でも覚えています


その数カ月前、夏合宿。

炎天下の長時間の個別ノック。

右にふられ、左にふられ、飛びつき白いユニフォームは真っ黒だ。

苦しみしかなかった。

しっかりとれよ!

OBからの容赦なくかけられるかけ声に対して返事もできない。

「なんでこんなに大変な思いをするのだろうか・・・。」

最後のボールをキャッチし、そのまま外野の芝生へ行き、仰向けに倒れた。

当時の富士見シニアの夏合宿は当時の自分にとって壮絶だった。。

コーチからの鬼のような叱責。

練習メニューのハードさ。

グラウンドまでの朝晩のランニング。

合宿所での洗濯や食事。

上級生とのやりとりなど、精神的にもこたえた。

今はプロ野球選手の今成亮太も合宿では脱落組だった。笑

そんななかで、必死にくらいついた。


夏明けに迎えた大会でレギュラーに選ばれた。

背番号5番

そして、その大会で見事に優勝。

決勝戦ではヒットも放った。

守備のファインプレーもした。

なぜあそこまでできたのか。

あの夏のつらい合宿があって乗り越えたからだと思う

決勝戦という緊張感ある試合の中でいつものプレーができたのも

炎天下のノックが守備のファインプレーを生んだ。

合宿での生活が精神的なタフを身につけさせてくれた。

優勝後に、鬼コーチの箱さんから「良いプレーだった」と言われたのは今でも忘れない。

優勝祝いでみんなで行った焼肉屋さんは中学時代の良い思い出だ。


今の立場になって、中学時代に厳しくしてくれたコーチやOBに感謝している。

当時はコーチの車を見るのさえ嫌だったが、

今となってあの厳しさが自分にとっての成長につながったと思っている。

今の自分にそんな厳しさはるだろうか。

自分なりの厳しさを出して、

生徒たちをより良い方向へ導いていきたい

この記事を書いた人

飯塚豊(づかっち)